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ときめき大学レポート

私 の 郷 土 学

投稿者:ankou 投稿日:2002/ 7/28

  昨年の9月7日から始まった「ときめき大学」開講式の三日間は感動の連続だった。

  早速、私が運営する「ふるさと塾」というHome-Pageに星空講座の模様を、照明に浮かんだ吉

野ヶ里の櫓群と熱演される佐原真先生の写真とともに掲載したのだった。

…「近畿説も九州説も結局は、はっきり断定できる証拠が出てこないことには…むしろ、どこに

あったかと論争できる今がロマンがあっていいのでは…」ということで、ガンを克服されたとは思

えない素晴らしい低音で、原語でのブラームスの子守歌で第二日の講義を締めくくられた。

…というコメントをつけていた。

  
 このレポートを書いている最中に、その佐原先生の逝去が報道された。高島先生は、「佐原さ

んがいなければ、吉野ヶ里の今日はないと言っても過言ではない」と惜しまれていたが、改めて

佐原先生のご冥福をお祈りするところである。

 その数日前には、佐賀新聞に高島先生と寺崎報道局長との「吉野ヶ里遺跡の意義と魅力」と

題する対談が大きく掲載された。 高島先生は、「先ず、『魏志倭人伝』が記された『主旨』と『主

題』を文献に沿って理解する必要がある。」と語られて、「中国及び中国周辺の国々の政治的動

向に注目する必要があり、魏と呉という中国の対立関係が日本のクニグニとの関係にどう投影

されたのか、ということを探るのが大事だ。」とされている。

 近畿圏内の私のWeb上の友人は、奈良県桜井市の最近の発掘調査で、纒向石塚古墳・ホケ

ノ山古墳の築造年代や導水施設・韓式系土器の発見があった巻野内地区の位置付けなどから

「当時日本の中心地であったであろう」と指摘して、あたかも「これで、卑弥呼はこちらのものだ」

というような主張をしてきた。私は、学術的に「吉野ヶ里」を主張できるほど専門家ではないが、

「卑弥呼の近畿説を否定できる知識はないが、当時の近代国家が『吉野ヶ里』から出発した可

能性は残っている。」と反論したのだった。

  
  このようなロマンを、面識もない友人と論じ合うことができるのも、インターネットと「ときめき大

学」のお陰である。  「ときめき大学」の受講を始めて、HomePage上の講義や全国からの受講

生の声に励まされた。私は自治大学校の九州同窓会の一行や秋田からのWeb上の友人を

野ヶ里へ案内した。いずれも全国に誇る遺跡として鼻高々であった。

また、待ちわびていたNHK TVの「プロジェクトX」で、奇跡的にも遺跡保存することができた由

縁の関係者の努力と熱情を確認することができた。

 私の「郷土学」は、先ず実践することにあるが、正直、「ときめき大学」初年次のテーマであっ

た「吉野ヶ里」は、まだ聞きかじりの段階である。そして又、早くも二年次のテーマ「肥前陶磁器

の世界」に心を躍らせている。

  
  学ぶことは永遠に続くし、そのきっかけを与えてもらい関心を持つ、折りに

触れてどん欲な好奇心を満たしていく…小さな県にありながら世界に誇れる

郷土の財産を学んでいくことは、楽しい生き甲斐でもある。
  

県鳥  カチガラス  

 

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