今、まさに「ふるさとブーム」の感がする。確かに、今ほど若者が足元の地域を振り返り、連帯を論じている時代は、かってなかったのではなかろうか。
地方の時代というのは、若者が地方に定住することだから、定住できる地域をつくっていく、それが「村おこし」の原点であるはずだ。 その意味で、このブームは新しいルネッサンスと言える。
私は、常々「黙っているよりホラを吹け!」と言ってきた。 発言すれば義務も生じるし、勇気も湧く。その勇気で一つのことができれば、新たなホラも出てこようかというものだ。
1980年代に入って、地域産業の振興はこれまでの工場誘致を中心とした考え方では十分な対応ができなくなり、地域の主体性と創意工夫を中軸に据えた地域産業振興策が強く求められた。 当時は、「ウメ、クリ植えてハワイへ行こう」というキャッチフレーズで始まった大分県の「一村一品運動」が注目されはじめた頃だった。そして、若い人達の実践への足がかりとして「夜なべ小屋」が話題になっていた。 1984年11月、私はかって青年団員として過ごした、田舎での「青年宿」での体験をもとに、県内各地の仲間に「ふるさと塾」を提唱した。 |
1984.11.17 … 「ふるさと塾」発会式(相知町 女学院跡)
1985. 1.28 … 第2回 例会(佐賀市 牛島天満宮)
講師としてお招きした佐賀新聞論説委員の河村健太郎氏は、こう紹介していただいた。
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◆ | '84.11 | 発起人紹介記事と県広報 |
◆ | '85. 1.28 | 第2回例会 紹介記事 |
◆ | '85. 2. 4 | 佐賀評論 「むらおこし論議を」 |
◆ | '85. 3.11 | 「ふるさと塾」塾頭インタビュー |
◆ | '85. 6. 7 | 実験 … 過疎地の民家を借り切る |