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「葉隠四哲」の肖像画が揃い踏み?

大和町・通天寺(20世代、神代住職)に、寺祖湛然和尚の座像撮影に出向きました。
御堂に、「葉隠四哲」の肖像画が揃って飾ってありました。平成10年 2月に、大和町内の
ある家の建て替えの際に発見されたもので、近代風ながら、これまでは石田一鼎と湛然和尚の
肖像画しか無く、描いた人が分からないまでも、これが「葉隠四哲」ではなかろうかということでした。

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「腹切地蔵」の碑が 330年前を祀っています

光茂の命を受けながら湛然和尚の連れ戻しがならず切腹した藩士たちを祀っている、
名尾川沿いの地蔵尊の傍に、通天寺住職は、平成11年 9月、歌碑を建立しました。
地域の人とともに「腹切地蔵さん」と呼び、往時の悲劇を後世に伝えようと
今でもお祭りしています。

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「佐賀御積絵図」…慶長14年(1609年)

慶長10年、徳川家康は諸侯に国絵図と城下絵図の提出を求めた。この絵図は、
現存する佐賀城下図で最も古いもので、本図で注目されることは柳町の東端に、
「南蛮寺(キリスト教会)…右上青枠の区域」が広大な面積を占めていることである。
(県立図書館 蔵)

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「佐嘉小城内絵図」…慶長19年(1614年)

佐嘉城創建当時の様子が描かれている。この絵図の五層の天守閣は
火災によって焼失したが、本図によって当時を偲ぶことができる。
 また、城郭の周囲には堀がめぐらされ、土手には松が植えられていた。
(「鯱の門」傍の案内陶板)

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