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Friendship Delegation to Myanmar

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2月16日(第 4 日)  マンダレー滞在  (第二日・午後)

 サガインから南下すること3時間。あとは三輪車で メイヨウの軍用地の中で陸軍墓地を前に追悼式の準備
 式のあと京都の芦田さんもホッとした様子。右は共催の打木さん 二か所での追悼式でイラワジ川には日が落ちる頃に
 川辺のレストランで夕食になった。少しは食欲も… 茨城の矢口さん、熊本の北島さんにも笑顔が
 手前は同室の森さん。相変わらずミャンマービールが 団長と女性陣。ちょっと疲れた様子が…

2月17日(第 5 日)  マンダレー滞在  (第三日)

 今日は追悼式が三ヶ所の日。日本人墓地の看板 南下すること2時間。メークテーラーのお寺の一角。池にも仏様が
 鎮魂の碑の前で追悼式を行うことになった 追悼式が終わって一同が祭主の森さんを囲んで
 「祈平和」とあるパコダの前で、寺の僧も黙って見物 帰還した人たちが建てた記念堂や慰霊碑が近くに多い
 立ち去る一行を見送る子供 更に南下すること2時間。路傍の風景は変わらない
 更に南下2時間。ピオベ。お寺の傍で追悼式の準備 立派な寺院のもとに遺徳のパコダがある
 追悼式に集まってきた子供たちが多い 中には青年もいて我々のことが判っているのか
 福岡の三笠さんが追悼の言葉を述べる パコダを建てた人たちは砲兵中隊の帰還兵らしい
 寺の僧たちも静かに見守る 北上すること3時間。砂漠のような草地に山羊が草を食んでいる
 タッコンの小高い丘の上にパコダを発見し一行が登ってゆく 副塔が立っている立派なパコダで追悼式の準備
 福岡の三原さんが最後の追悼式を行う。13人の想いが叶った。 小学校の先生か、下校中に子供を連れて立ち寄ってくれた

2月18日(第 6 日)  マンダレー  →  空路  ヤンゴン  へ

 空路80分でヤンゴン着。北島さんが中学生と路上交流 小学校の傍の民家。玄関先はゴミの山でナベが転がっている
 「日本遺族会から寄贈された小学校」と書かれている 団長から校長先生にご挨拶
 校長先生から学校開設以来の謝辞と今回のお礼が述べられた 私が小学生用に持ってきた文房具
 団長からボールほか学用品のプレゼント 教室に挨拶にきた生徒たち
 団員から帽子を被せて貰って晴れやかな生徒たち 北島さんが持参のハーモニカで日本の唱歌を披露した
 毎年訪問の機会があり、校長と団長が記念植樹 昼食に、ヤンゴンに初めて日本食のレストランを開いたお店へ
 団長さんと。後ろの壁に浮世絵が飾られている ヤスユキ添乗員と二人@nkou
 やっと女性団員とパチリ それならと塚辺君からも写真をねだられた
 ふたたびヤンゴンへ戻ってきて、にぎやかな街頭 テント張りの出店が混然とする中をバスは進む
 大通りの交通事情。バスも満員で人がこぼれそう 人口250万人で国内の最大都市。首都はネピドーに移されている

2月19日(第 7 日)  ヤンゴン  滞在(第二日)

全戦没者追悼式(ビルマ平和記念碑)
 日本人墓地が在留邦人協会で管理されている 各県の慰霊碑等も建てられている
 紅いブーゲンビリアが真っ盛り そうした中で全戦没者に対する追悼式が行われた
 先の大戦における戦没者をしのび…平和記念碑は国建造 全団員が献花した。太陽直下は40℃の暑さ
 佐賀県からの三人 ミャンマー全権大使や駐留武官など来賓多数と記念写真
 自転車で下校する子供たち アウンサンスーチーさんの自宅はNLD党の旗で守られている
 街頭の野菜や果物屋 お肉屋さんか
 チャウタッジーパゴダは長さ66m、高さ18mと国内最大 解説看板があるが英語と現地語で読めない
 礼拝する信者たち。お寺はすべて靴や靴下を脱ぐ 足の裏には、仏教の宇宙観が表現されているそうであるが、
 物語ではなく、動植物が単体で描かれている。 涅槃像を守るかのような五人僧は金ピカ

合同懇親会(来賓を招待して)
 駐在の全権大使の開会挨拶 テーブルで相席だった小学校長と
 在留邦人協会の副会長と 明日の空港で再開したが、空港は彼の職場だった
 舞台ではミャンマー舞踊が始まった あやつり人形も入った踊り
 ボールを使った曲芸の踊りも ミャンマー舞踊は手と目の動きが艶めかしい
 舞台での踊りはクライマックスへ。総員踊り 踊り子がフロアに降りて参加者も踊りだした
 軽快なリズムに変わって、盆踊りのような交流の場へ こうなると塚辺君の得意とするところ
 テーブルの招待者を中心に佐賀県勢も… 大使や来賓、踊り子を囲んで全員が写真に

2月20日(第 8 日)  ヤンゴン  滞在(第三日)→  空路  日本  へ

シュエダゴォン・パゴダ
  ヤンゴン北部にあるミュンマー仏教の総本山。
中心にある黄金の塔は高さ約100m。建物全体に金箔が施され、上部には6,000を越える宝石が装飾に使われている。
  大勢の信者が祈りを捧げている。

2月21日(第 9 日)  06:15    空路  日 本  到着

ま    と    め

  父親を偲んで6ケ所での個人追悼式。それぞれ父親の最後の地を目前にして、出生以来
70年間以上胸の中で語りかけてきた すべての想いをぶつけることができました。
  もう想い残すことはありません。  これから、自分の人生がやっと始まる。
  そんな気にさせてくれたミャンマーの旅でした。  有難うございました。
  戦没者の戦歴や追悼式の位置の調査、旅の行程や日程更には折角の旅に思い出を
添える観光地の選び方まで、日本遺族会並びに JTBの皆様、関係機関の皆様に厚く御礼
申し上げます。父親に抱かれた事のない私も、父親の背中を見たような気がしました。
  この喜びと感動を広くご報告し、未だご存じでない後輩にも是非味わっていただきたい
と思います。  本当にお世話になりました。重ねて御礼申し上げます。

 
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