いろいろなごまかしや情報隠しが告発されたり、自己懺悔が続いています。
最近になって、人が急に正直になったのではありません。もはや隠し通せないと自覚しての 判
断だと思われます。
これまでの公共機関や企業の秩序は、一責任者(支配者)の判断によることとされ、その 正否
が外部の判断に委ねられる機会は限られていました。
その、いかにも日本人特有の悪しき組織秩序が崩れたのは、インターネットの出現である と
@nkouは考えています。「東芝事件」…一消費者の苦情が会社に無視されて、その経過の
一部始終と社員の応対ぶりの録音がインターネットで公開されるや、全国の批判が高まり果ては
不買運動にまで広がる勢いを見せたものです。
これまで庶民は、ことの正否を世に問う手段を持っていたのでしょうか。
答えは「ノー」です。一個人の意見を世に出すには、役所に訴えるか、報道機関に投書する か、
警察に届け出るかしかなかったのです。 …そして、それを公表するのはすべてそこの責任 者
の判断によるものであり、その正否が世間の評価に晒されることはありませんでした。
ましてや、組織内部の防衛に関することは尚更のことです。そのことに異を唱える部下が いて
も、同じ力学が作用して世に出ることはなかったのです。
「東芝事件」以来、責任者達は常にインターネットを意識しない訳にはいかなくなったの です。
悪意ではなく信念をもってする判断も、世間に評価されることを覚悟しなければなりませ
ん。
確かに、インターネットはすべての人の間に普及しているとは言えません。しかし、責任者 は
インターネットの存在を意識せざるを得ないのです。 ことの正否は、世間が決める。
それまでの一過程を委ねられた責任者は、あとで世間の非難を受けない
ように自分の良心に従って最高の裁決に努める。
庶民がインターネットを持ったということは、直接民主主義に近づく本 来の
原始社会を手中に収めつつあると言えるのではないでしょうか。
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