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 葉隠の時代背景
 葉隠は今から約 280年ほど前の元禄時代に書かれた鍋島武士の日頃の心掛けを書いた本である。その 背景を眺めてみよう。

 山本常朝は葉隠の中で嘆いている。今の世は若者が集まれば、@金銀の噂、
A損得の考え、B内緒事…家庭の暮らしむきの話等、C色欲の雑談ばかりが時の話題となっている。
 「損得我儘」ばかりに日を送り「行き当たりては恥をかき」、それを恥と思わず「我さへ快く候えば何も構わず」、 また家老達が心の底から藩を思ってないと涙を流し声を震わせる。常朝をこのように嘆かせた元禄時代、葉隠の時代背景は どの様な社会・経済状態であったのであろうか。  

  
  
(1) 元禄時代は、戦国以来のダイナミックな武士道との決別の時代と思われる。即ち、関ヶ原戦から 100年を経過し、 島原・天草の乱から 70年を過ぎ年文化の時代へと移り変わって来ている。

(2) 町人の経済力が大きく成長し、武士の権力より町人の経済力がものを言う町人文化の時代へと変わってきた。
 武士も奉公人(サラリーマン)時代へと変わり、軍人としての武士より、経理、外渉、産業開発等に能力のある武士が 重要視されるようになった。

(3) この時代の経済社会を見ると、米経済から貨幣経済へと移り変わり貨幣経済が農村まで浸透し、商品の流通に携わる町人たちの 経済力が急上昇した。

 また、庶民の生活様式も大きな社会変化をもたらした。家庭での食事が夜を含めて三食になったのもこの時代である。
庶民が茶屋遊び、酒、博打を好み、芝居を見て楽しむようになった。前髪姿の若衆、華麗な小袖、絵画から工芸、染織の意匠、 友禅等の芸術が花開く。松尾芭蕉、近松門左衛門、井原西鶴等、文学の方面でも目ざましい発展を見ることができる。

 日本史のどの時代より町人が「いきいき」していたと思われる。

 佐賀藩の武士も参勤交代(一般的には一年間江戸勤務。佐賀藩は長崎警備のため短く百日大名と称された)で江戸に参り、 大都市で町人文化に接し、その影響を受け、憧れを持つ侍(武士)が多くなってきたのではないか。元禄社用族汚職事件の 発生や浮かれ妻騒動や密通等、多くの課題が葉隠でも指摘されている。

平城だった佐賀城に残っているのは「鯱の門」だけ

  

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