三百年程前に筆録された『葉隠聞書』の「葉隠」の名のいわれは諸説が多い。
@ 西行法師の「山家集」にある、「はがくれに散りどまれる花のみそ偲びし人に会うここちする」から
とったとする説。
A 人里遠く離れた大変淋しい所、周辺に木立が多く木の葉に隠れる草庵での語り合いという、
周囲の環境から思いついたものとする説。
B 歴史学者久米邦武博士の「草葉の陰から」「鍋島侍は覚悟の根本は死で、草葉の陰から鍋島藩を
背負う精神である」から、この集まりを葉隠と言う。
C 葉隠巻二に「人の為になることは我が仕事と知られざる様に、主君には陰の奉公が眞なり
仇を恩で報じ、陰徳を心がけ…」とあることから、常朝が「陰の奉公」を重んじ売名的行為を戒めた
心境を汲んで名付けたとする説。
D 殿様である五代藩主鍋島宗茂が金立権現原の田代陣基の家に立ち寄って葉隠と言ったという説。
などがある。
つまり、「葉隠」の名は内に秘めた情熱を重んじる思想に加え、草深い樹陰での聞書ということから
名付けられたものと見られる。
.
|