2.葉隠の名言(抜粋)
★ 武士道というは死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて早く死ぬほうに
片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。
(中略)我人、生きる方が好きなり。多分すきの方に理がつくべし…
武士に武士道とは何かと問いかけても答えられるものが極めて少なかった「油断千万の事なり」の現実を実感し、武士の行動や思想哲学が、山本常朝の考えている展望と異なって来たので武士道の再構築の必要性を痛感し、死の覚悟をもって公務に尽くす葉隠武士の決意の行動原理を表現していると思われる。 |
★ 恋の至極は忍恋(しのぶこい)と見立て候。逢いてからは恋のたけ低し、一生忍んで思い死することこそ恋の本意なれ。
「恋死なん、後の思いに、それと知れ、ついに洩らさぬ中の思いは」この歌の如きものなり。これに同調の者「煙仲間」と申し候なり。
和歌の意味は、「恋慕ったまま死んだ私を焼く煙を見て、最後まで明かさなかった私の心を知って欲しい」。自分の胸の中を相手に打明けず相手に心から尽くす隠し奉仕陰徳は、常朝が重んじる「陰の奉公」に相通じるものである。
「次郎物語」の作者下村湖人は青少年育成事業として同志的結合を大切にする「煙仲間運動」を提唱しこの語が有名になった。 |
★ 慈悲より出づる智勇は本ものなり、慈悲の為めに罰し、慈悲の為め働く故に、強く正しきこと限りなし。
慈悲と仁(愛情)は同義と葉隠は解し、慈悲あっての智勇だという。 |
★ 大事の思案は軽く、小事の思案は重く。
大事の思案は平常の間に検討し前もって心にきめておき、その場に臨んでは簡単に態度をきめるべきもの
である。
これに反し日ごろの覚悟が不足であれば、その場に臨んで簡単に判断をつけることができず、誤りを
ふやすことになろう。 |
★ 先ずよき処を褒め立て、気を引き立つ工夫を砕き、渇く時水を呑む様に
請け合わせ疵直るが意見なり。
先ずその人のよい点をほめあげておいて元気をださせるように気を配り、のどが渇いている時水を飲む
ように受け入れさせて、欠点をなおすというのが本当の意見というものである。 |
★ 勝ちといふは、味方に勝つ事なり、味方に勝つといふは、我に勝つ事なり
、我に勝つといふは気を以て体に勝つ事なり。
★ 大酒にておくれ取りたる人数多(あまた)あ
り先ず我が丈分をよく覚え、その上は飲まぬようにありたきなり、酒座にては気を抜かさず、思わぬ出来
ごとありても間に合う様にありたし。又酒宴は公界(くがい)ものなり、
心得べき事なり。
酒に酔ひたる時一向に理屈を言ふべからず。酔いたるときは早く寝たるがよきなり…。
鍋島藩士は酒を飲む人が多かったのであろう。酒席は公の場と戒めている。 300年前も今も酒に関する注意は全く同じで、葉隠には酒にまつわる挿話が多い。 |
★ 人間一生誠にわずかの事なり。好いた事をして暮すべきなり。 夢の間の世の中に好かぬことばかりして苦を見て暮すは愚かなことなり。
この事は悪しく聞いては害になること故、若き衆など之は語らぬ奥の手なり。我は寝ることが好きなり。
いよいよ禁足して寝て暮すべきと思うなり。
無骨一辺倒でない自在な幅広い常朝の人物像が浮かぶ。これはもちろん怠惰のすすめではない。禅でいう
「大悟一番」の心境であろうか。
心の迷いを去って真理を知る常朝の気持ちと思われる。若者が誤解しないよう「奥の手なり」と言っているのは面白い。
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