ふるさと塾印
'01-Summer

'01-Summer

 

季節
タ イ ト ル
掲載 期日
弥生の長(おさ)たち ’01. 9.10
七年目の成虫  アブラゼミ ’01. 9. 3
弥生人の声が聞こえる ’01. 8.27
珍しくなった初盆供養 ’01. 8.14
小さな町の大きな文化財 ’01. 7.30
「梅雨明け」宣言 ’01. 7.19
「田の神」さんのシーズン ’01. 7. 8
佐賀平野の田植え ’01. 6.16

 
お急ぎでない方は

 
9/10 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
弥生の長たちの会議
 
弥生の長(おさ)たち
  8/27既報のとおり、吉野ヶ里歴史公園はすっかり面目を一新しましたが、墳丘墓を北に仰ぎ更に濠と柵を巡らせた 「北内郭」と呼ばれる一角があります。
  物見櫓など多くの楼閣のうち、三階建てのひときわ大きい主祭殿では、吉野ヶ里の指導者達が重要な事柄を話し合ったり、 最高司祭者が祖先の霊に祈りを捧げる儀式などが執り行われていたようです。
  9/7〜9には、「佐賀ときめき大学」の開講スクーリングが行われました。全国の200余名の受講者は、これからインターネットを通じた講義で、初年次のテーマである「吉野ヶ里」を学問していくことになります。2年次テーマは「有田・伊万里・唐津焼」です。
  今のところ、「邪馬台国」は近畿・九州説ともに五分五分です。
( 9/ 8 現地見学…主祭殿の二階にて)
 
9/ 3 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
精一杯生きているアブラゼミ
 
七年目の成虫  アブラゼミ
  酷暑の日々にうるさいくらいに湧いていたセミの声も、ここ数日の涼しさに収まったかと思っていたら、ベランダに か細いつぶやきが聞こえました。
  ハカラメの幹に必死にしがみついていたのは、アブラゼミ。幼い頃からの友達ですが、写真を紹介するには俗称では 悪かろうと「昆虫百科」を検索しました。
  昆虫綱-半翅目-セミ科-アブラゼミ  なんと、学名どおりに親しんでいたのですね。
  「卵で越冬し、幼虫は六年間土中にいて、七年目に羽化して成虫になる。」とあります。油紙のようなハネを 細かく震わせながらも飛ぶ気力はなさそうで、おとなしくカメラのモデルになってくれたので、七年間の寿命の中で、 このセミの存在を遺す写真となりました。
  空蝉(うつせみ)の  世ば常なしと  知るものを   秋風寒み  偲びつるかも(万葉集)
( 9/ 2 4Fのベランダにて)
 
8/27 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
「吉野ヶ里歴史公園」としてリニュアール
 
弥生人の声が聞こえる
  「吉野ヶ里遺跡」が、今年の 4月から国営公園「吉野ヶ里歴史公園」として再公開されています。
  弥生時代は約600年も続く長い時代であり、吉野ヶ里遺跡では、この長い弥生時代の全ての時期の遺構・遺物が発見されて います。新たな整備計画により吉野ヶ里歴史公園では、弥生時代後期(紀元3世紀)を復元整備対象としています。
  シンボルゾーンは、二重の環壕に囲まれた「北内郭」です。当時の指導者達が会議をしたり、司祭者が祖先の霊に 祈りを捧げる儀式が執り行われていた建物群が再現されました。
  それにしても、総面積117haは広い!…現在、そのうちの47haの公開ですが、楼閣に上がって見渡せば広い空の下に、 きっと弥生時代の森や草原が蘇り、当時の人々の暮らしぶりも見えてくることでしょう。
( 8/26 主祭殿周辺を見渡す物見櫓より)
 
8/14 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
老若一つに踊りの輪
 
珍しくなった初盆供養
  ♪  揃うた、揃うたよ  踊り子が揃うた
 初盆を迎えて新仏を回向する家の軒下に、盆口説(ぼんくどき)が流れると、浴衣姿にうちわ片手の踊り子たちが踊りの輪をつくって、盆踊りは始まります。それぞれの部落ごとに口説や踊りは異なりますが、合間に踊り子からの囃子言葉があるのが特色です。「あらよっさーの、よよいやサイサイ」…返しの声が少ないと、口説き手から「みんなどなたもご調子、合わせて返しば頼む」と注文がつくこともあります。
  青年団が衰退して、最近は、地区ごとにまとめた供養が主流になっていますが、叔父貴の初盆となった田頭地区では、昔どおりに家々を廻る婦人会や子供たちによる初盆供養が行われました。
  ♪  人の音頭ば取るのじゃないが…と、口説き手を名乗り出る勇気はありませんでした。
( 8/13 相知町田頭地区の初盆供養)
 
7/30 掲載   A WEEK-SHOOT JPG  
元気に廻る町切水車
 
小さな町の大きな文化財

 水車の起源はとても古く、紀元前1世紀の初め頃、西アジアで石臼をまわすために作られたのちヨーロッパに伝わり、歯車装置の 付いたものへと発展したという「人間が原動機として最初に手がけた機械」だそうです。
 厳木(きゅうらぎ)町と相知(おぅち)町との町境は、川の流れに沿った集落の配置から文字どおり「町切」と呼ばれますが、延宝6年(1678年)の記録では「八丁の水車」があったと記されています。
 厳木川の水位と複雑な水田の関係から、この地区の先人たちは工夫をこらして水車をつくり、守り伝えてきたのでしょう。
 旧唐津街道に沿って、今も元気に活躍する6基の水車群を撮影していると、この水車の保存と活用運動に取り組んでいる 「自然と暮らしを考える会」の石盛会長が飛んできて、熱心に由来を説明していただきました。
( 7/29 厳木との境、相知町町切にて)
  
7/19 掲載   A WEEK-SHOOT JPG  
握手を求める「河太郎」
 
「梅雨明け」宣言

 今日、気象台は佐賀を含む北九州の梅雨明けを宣言しました。
 今日の佐賀地方は、朝から久しぶりの青空が広がり、昼間の気温は32.8℃まで上がったそうです。去年と較べ二日遅い「梅雨明け」 となりました。
 佐賀市内の辻々をクリークとして流れる松原川は、近年、リバーフロント整備広報事業として人々に親しまれる水辺空間となるよう 演出されてきましたが、中でも、カッパファミリーの彫像が人気です。
 湧き水が大好きな女の子のカッパ「みどりちゃん」は、308才。握手をすれば、アーチ橋中央から水が噴き出す長男カッパ 「河太郎」は312才…。
 右掌のセンサーを、今日の取材で初めて気づいたのでした。
( 7/19 佐賀市・松原川リバーフロントにて)
 
7/ 8 掲載   A WEEK-SHOOT JPG  
素朴な表情の田の神さん
 
「田の神」さんのシーズン

 鹿児島で更新した中古車の試乗を兼ねて、鹿児島神宮と霧島神宮に詣でました。前日に地元の名君島津斉彬を祀る照国神社に 参りましたから「三社詣で」です。
 鹿児島神宮の由緒によると、御系統は伊勢神宮ー英彦山神宮(福岡県)に次いで霧島神宮があり、そして鹿児島神宮なのだそうですが、 ここの御神田の傍に、旧薩摩藩領内だけに見られる「田の神」さんがありました。田の神は、春の農耕が始まると里へ下り、 秋の取り入れが終わると山へ帰ると信じられています。御身長は83pで、大きなシキ(蒸し器の敷物)を頭にかむり、右手にシャモジをかざし、左手には飯椀を持っています。
 天明元年(1781年)の銘が背中にありましたから、220年前の作のようでした。
( 7/ 7 鹿児島神宮内の「田の神」)
  
6/16 掲載   A WEEK-SHOOT JPG  
佐賀平野の田植えシーズン
 
佐賀平野の田植え

 佐賀平野の田植えが始まりました。
 最近は、田植え機械によるものが殆どで、手植えの光景は見かけなくなりましたが、狭い佐賀県でも上場地区からすると、 二ヶ月近くの田植え時期の幅があります。
 御多分にもれず、兼業農家が主体になった米どころの佐賀平野でも、来週は週末の土・日を生かして一気に早苗の田圃に変わることでしょう。
 山あいに属する実家の田植えでは、見栄もあって多くの人夫を雇って田植えを済ませた母が、その賃金の分、この佐賀平野の田植えに 一週間も泊まり込み、「佐賀の田んなかは、いくら植え下っても先の遠ぉかとばい」と嘆きながら、それでも女同士の合宿生活の 楽しみを話していたことを思い出します。

( 6/16 早苗の田の夕暮れ)
 
 

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