ふるさと塾印
'03-Autumn

'03-Autumn

 
季節
タ イ ト ル
掲載 期日
ソウルの秋   ’03.11.18
唐津くんちの宵山   ’03.11. 3
相知くんち   ’03. 9.28
蕎麦の花の咲く頃   ’03.10.19

 
お急ぎでない方は

 
11/18 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
落ち葉の中でスケッチする人
 
ソウルの秋
  3日間のソウルをフリーで楽しみました。飛行機が飛び立ったら機内食を頂くのも忙しい実質50分のフライトです。紅葉の季節には遅かったようでしたが、ちょっと肌寒い大陸型の晩秋模様でした。
  都内の中心は「景福宮」、1395年に李朝の創始者・李成桂が建てた王宮で政庁でもあったようです。文禄の役や日韓併合で破壊されたという耳の痛い歴史を経て、前日に復元公開されたばかりということでした。
  壮大な木造建築群の紹介は別に譲るとして、落ち葉の中で静かに絵筆を動かすグループが目をひきました。周りの喧噪に耳をかさずもの言わぬ歴史の証言者たちのたたずまいと紅葉を淡々と描いていらっしゃいました。
  急成長の頃の我が国の反省点が見かけられる韓国事情ですが、我々が失った「孝養」や「長幼の序」という言葉が、人々の心のバックボーンになっていることを知り得た、「隣国への旅」でもありました。
(11/15 ソウル・景福宮の苑内にて)
 

 
11/ 3 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
十一番曳山・酒呑童子と源頼光の兜
 
唐津くんちの宵山
  トップページの「今日は何の日」に、唐津くんちの前夜祭、「宵山」のことを書いたら、急にヤマ囃子を聞きたくなりました。
  久しぶりの宵山は、とても人出が多くなったような気がしました。佐賀平野ではバルーフェスタが開催されているとあって、観光客にも相乗効果があるのでしょうか。今年の話題は、漆が塗り替えられたばかりの魚屋町の五番曳山「鯛」ですが、巡行コースには、沢山の人垣ができて、14台の曳山が通過する度に大きなどよめきが広がっていました。重たい山笠が交差点で向きを変える時のスピードと台車がきしむところが見どころですが、観衆はちゃんとわきまえているようです。
  文政2(1819)年、刀町の木彫家が、お伊勢参りの帰りに京都で見た祇園山笠にヒントを得て、仲間と「赤獅子」を作り奉納したのが曳山行事のはじまりと言われています。待ちわびた「くんち」の三日間が始まってヤマ囃子や曳き子のかけ声にも力がこもっていました。
(11/ 2 米屋町の「酒呑童子と源頼光の兜」
 

 
10/19 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
相知くんちの山笠
 
相知くんち
  「おくんち」とは「御九日」がなまったもので、本来は9月9日の重陽の節句の意味だそうです。この行事は西日本各地にあり、明治の新暦移行以後、10月に移行したようです。
  子供の頃は、相知くんちから稲刈りが始まり、唐津くんちを楽しみに秋の取り入れを急いだものでした。久しぶりに熊野神社に詣で、2台の山笠を見上げました。今年は、やはり「巌流島の決闘」が人気があるようです。往時に比べると人出は極端に少なくなっていますが、境内と役場の前にいくらかの露店が並んでおり、焼きするめやたこ焼きなど懐かしい秋祭りの匂いを楽しむことができました。
  友人の家に居座っていると、呑み客だけは昔どおりに酒を提げて回って来て、中には「おっ、また会うたな!」と言い合う猛者もいて、いつもと変わらぬくんち風景を醸していました。
  くんち客を招き合う、唐津・伊万里地方の裏方さんは大変です。
(10/18 相知・熊野神社にて)
 

 
9/28 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
紅い実をつけたソバの花
 
蕎麦の花の咲く頃
  秋空に誘われて、山あいの秋を探しにドライブに出た。山里には確かな秋が訪れて、蕎麦畑には真っ白い蕎麦の花が揺らいでいた。
  よく見ると、花房の下には紅い実がついて、既に硬さを増しており、初めて眺める光景である。
 足を伸ばして、かっては農協長をつとめた友田さんところの蕎麦をちょっと遅い昼食にすることにした。村おこしのためにと、あえて自宅の傍に庵を結ばれた頃に、友人に案内された蕎麦屋「木漏れ陽」である。嬉しいことに、福岡ナンバーの車が連なり、お店は順番待ちの状態であった。
  写真の盛り蕎麦が600円、そばの芽のジュースやサラダ、おひたしなど工夫をこらしたコース料理は1,500円である。    北山ダム北への案内図はこちら
( 9/28 富士町上合瀬にて)
 
 

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