ふるさと塾印
'04-Spring

'05-Spring

.

季節
タ イ ト ル
掲載 期日
大空に泳ぐ   ’05. 5. 4
満開の桜に囲まれて   ’05. 4. 9
懐かしい発動機   ’05. 3.29
雨のお遍路さん   ’05. 3.17
春を探しに   ’05. 3. 7
初めての選挙   ’05. 2. 6
歳末の色   ’04.12.28

 
お急ぎでない方は

 
5/ 4 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
豪快に泳ぐ幟の群れ
 
大空に泳ぐ
  呼子大橋の下、アジのしんちゃんのところは初孫の節句だ。去年、酔った勢いで仲人を引き受けた若夫婦も、立派な漁業の跡取りとして頑張ってくれている。
  若夫婦が名付けた長男の名前は「波音(はおと)」君。玄界灘を庭先にする坂本家で、波音君は波の音を聞きながら9ヶ月、文字どおり健やかに育ってきた。
  鯉は滝をのぼると龍になるという故事から、中国の「登龍門」の言葉と共にめでたい魚とされている。江戸の中頃には、武士の幟に対抗して、町人の間で紙や木綿などの鯉幟が盛大に飾られてきたらしい。しんちゃんちでは、その両方の乱舞で、婿入りしてきた新米パパも水産講習所を卒えたと言うし、見事な幟竿には双方のじいちゃん達の気負いが現れていて、「日本は素晴らしい!」としみじみと思わせられる初夏の一日でした。
( 5/ 3 呼子大橋の下 坂本家にて)
 
 
 
4/ 9 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
満開の桜に囲まれた記念碑
 
満開の桜に囲まれて
  肥前久保駅の近くにある幡随院長兵衛記念公園の桜も満開でした。
地上15mの記念碑は満開の桜に囲まれていました。長兵衛(1614〜1650)は、大河野(現伊万里市大川野)の日在城主の家臣・塚本伊識の子として生まれ、幼名は伊太郎といい、父に伴って江戸へ向かったが、下関にて父は病没、一人で上京して神田山幡随院に身を寄せ、後に幡随院長兵衛と名乗りました。
 江戸の侠客の総元締めと言われ、庶民の英雄であった幡随院長兵衛の生き様は江戸の華と呼ばれ、「人は一代、名は末代の幡随院長兵衛…」の有名なセリフで歌舞伎や講談等で今も演じられています。
  80才になる親父も記念碑の除幕式(1939年)を観に行ったと言っていますが、大横綱双葉山がその綱を引いて行われ、久保の刈田のあとで角力興行が催されたそうです。
  この記事のために検索していたら、子孫だと言われる佐賀市の古川さんの頁に行き当たりました。
( 4/ 8 幡随院長兵衛記念公園にて)
 
 
 
3/29 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
懐かしい音で回る発動機
 
懐かしい発動機
  珍しく新家の博美君が写真を撮って欲しいと言ってきた。
  彼は、「農業機械整備技能士」という珍しい肩書きを持った機械マニアである。農機具店を辞めて、最近は自宅の小屋を整備工場にしているほどの入れ込みようである。
  「やっと直ったところだ」と見せてくれたのは、50年程前のヒーローだったクボタ発動機! 見事に磨き上げられて懐かしい排気煙と匂いを吐き出して、スタタンタンと軽やかに回転している。プレートには、2.5馬力、1600〜1800回転(分)とあり、ガソリンで起動し灯油に切り替える型式だ。
  もう亡くなった隣の伯父貴が機械の名手で、脱穀機や籾摺り機へのベルトをこのプーリーにスルリと手品のように掛けていたのを思い出した。一種の憧れをもって眺めていた@nkou少年は、立派な百姓にもなれず、今では退職者となっている。
( 3/29 向かいの機械倉庫にて)
 
 
 
3/17 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
御詠歌をあげるお遍路さん
 
雨のお遍路さん
  弘法大師・空海(774-835)の伝説は全国各地にあり、本場お四国の八十八ヶ所巡りのほか各地に八十八ヶ所があるようです。
  相知の「お大師様巡り」は、春と秋の2回廻ってこられます。今回は、我が家が「お接待」の当番で、初めてお遍路さんをお迎えしました。
  あいにく雨になって、お遍路さんは20幾人かでしたが、中には正式?の遍路姿の人もいました。お遍路さんはお大師様が歩かれた道をご修行時代の姿で辿って廻るのだそうです。
  札所に着いたお遍路さんは、先ずみんなで般若心経を唱えられます。そして御詠歌… 「般若波羅蜜多」とはサンスクリット語で、般若―最高の智慧、波羅―彼岸・悟り、蜜多―渡るとなるそうで、「悟りをひらくための智慧を説いた教え」という意味だそうです。
  お接待は5人のおばさんと私、混ぜご飯のおにぎりと酢合え、あたたかいお茶と菓子袋をお渡しして、ご一緒にお詣りしました。
( 3/17 近所の虚空蔵様のお堂にて)
 
 
 
3/ 7 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
ワラ傘で覆われた冬牡丹
 
春を探しに
  つれ合いのHomePageも更新しなければならないということで、博多の街で春を探しに出掛けました。なんのことはない、僕の気休めのためだろうとは判っていましたが、こちらも黙って付き合いました。
  箱崎宮花庭園では、冬牡丹が公開されていました。牡丹を寒い冬に咲かせたものを寒牡丹と呼びますが、厳密にいえば冬牡丹と区別されるようです。寒牡丹は二季咲き性の品種で、6月頃にできた蕾を切り、秋の蕾を咲かせます。
 一方冬牡丹は、春咲きの品種を促成栽培して冬に咲かせたものです。また、品種ではなく開花・観賞時期によって、小寒から立春までの間に咲いているものを寒牡丹、それ以外の冬期に咲いているものを冬牡丹とする分け方もあるそうです。いずれにしても、この時期の牡丹は「冬牡丹」と呼ぶべきなのでしょう。
  神苑は、梅の名残と菜の花の中に、ワラ傘に守られた可愛い牡丹があちこちに咲いていて、早くも春一色でした。
( 3/ 6 箱崎宮神苑花庭園にて)
 
 
 
2/16 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
雑然とした選挙事務所
 
初めての選挙
  初めて挑んだ市会議員の選挙に敗退しましたが、お礼状に『生涯に一度だけは皆さんに信を問うことを目標として生きてきましたので、皆さんのご支援に支えられた今回の結果についてはいくばくかの達成感はあります。』と書かせて頂きました。
 世に言う「選挙」のとおり凄まじいものはありますが、それは覚悟のうえとして、まさに世相を写す鏡のようなドラマでもあるようです。演じている時には感じませんが、特に敗戦の将として敗因を思う時にそう感じます。
 …そして、思わぬ人情の厚さ! これまで私の人生を本当に蔭ながら黙って見守り続けてきて頂いた人々のご恩、それを当たり前のようにふるまってきた自分の浅はかさ… 湧き出る感謝の思い!
 本当に、「選挙」に挑戦して良かった! これから、@nkouの御恩報じの旅が始まります。   
( 2/ 6 開票直前の事務所光景)
 
 
 
12/28 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
窓際のポインセチア
 
歳末の色
  お盆が過ぎた頃、選挙活動を決意して4ヶ月が過ぎました。
  時間に追われて、駆けて駆けて、とうとう年末になりました。その間、HomePageの更新もままにならず、多くのファンの方に心配をかけてきました。
 殺風景なプレハブ小屋の後援会事務所の中に、唯一の彩りを添えているポインセチアの影が長く伸びるようになって、早くも正月を迎えようとしています。
  花の形がクリスマスの星の形と似ているところから、ポインセチアが飾られますが、これは19世紀にメキシコ人でアメリカの大使として活躍した、「ジョエル・ポインシェット」という人がポインセチアを大変気に入り、自分の故郷メキシコにその花を贈ったのをきっかけに、世界中に知られるようになったのだそうです。
( 12/28 ちょっと一服の事務所にて)
 
 

以前の表紙写真集  Top Page に戻る