ふるさと塾印
'05-winter

'06-winter

.

季節
タ イ ト ル
掲載 期日
忍野八海からの富士   ’07. 3. 9
早春のさくら   ’07. 2.27
悲劇の城・鬼子岳城   ’07. 2. 1
除夜の鐘   ’07. 1. 1

 
お急ぎでない方は

 
3/ 9 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
軒下に干されたとうもろこしと冠雪の富士
 

忍野八海からの富士
  忍野八海おしの はっかいは山梨県忍野村にある湧泉群で、富士山の雪解け水が80年の歳月をかけ濾過し、湧水となって8ヶ所の泉を作っており、新富岳百景選定地にもなっています。これらの池は、延暦19年-21年(800年-802年)の延暦噴火によりできたもので、「八海」の名は、富士講の人々が富士登山の際に行った八海めぐりからきており、「出口池」、「底抜池」、「湧池」、「菖蒲池」などの名前がついています。
  この写真は、おそらく、生涯の思い出に残る名ショットとなることでしょう。
  この記事を書くために検索をかけたら、八海の池本に設置されているライブ(ナマ中継)カメラを知りました。今朝も、あの日同様のきれいな富士が見えています。現在の画像に切り替えて→撮影してベストショットに加える→掲示板に書き込むと、「過去のベストショット」に加えられて、全国のカメラマンの仲間になれますよ。                     
( 2/25 忍野八海にて)
 
 

 
2/27 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
花の下を行き交う人々
 

早春のさくら
  今年は「暖冬」ということで、「河津桜」という聞き慣れない早咲き桜の名所が色々と報道されていたが、実際に行くことになろうとは思ってもいなかった。
  青年団OB会の旅行で訪れた河津は伊豆下田の隣町で太平洋側に位置する。町おこしの起爆剤として川沿いに植えられた桜並木は沢山の花見客で沸きかえっていた。
  河津桜は、寒緋桜と早咲き大島桜の自然交配種と言われており、昭和30年頃に地元の人が冬枯れの雑草の中で芽吹いている桜の苗を見つけ自宅の庭に植え付けて、41年から開花が見られたという。1月下旬頃から1ヶ月にわたり咲き続けるそうだから、初物好きの江戸っ子は勿論、これから全国にも知れ渡り恰好の桜の名所となろことだろう。        
( 2/24 65才の誕生日に伊豆河津にて)
 
 

 
2/ 1 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
岸岳もうっすら雪化粧
 

悲劇の城・鬼子岳城
  ふと見ると裏山になる岸岳山(320m)もうっすら雪化粧をしていました。暖冬と言われながらも、さすがに2月になると季節はきちんとやってきます。裏山の歴史を紹介していないなぁと思い、一筆…
  元寇のとき、九州屈指の豪勇ぶりを発揮した松浦党の惣領は波多姓を名乗り、鬼子岳城を居城として17代続きました。
  文禄三(1594)年、17代波多三河守の代に、朝鮮出兵を策した秀吉に博多までの出迎えに遅参したとか、戦いぶりが卑怯だったとかの理由で、帰国の船を名護屋に繋ぐことを禁じられ所領は没収という命令を伝えられました。
  主君を失なった一族郎党家臣たちは、秀吉や遺領を引き継いだ寺沢志摩守(のちに唐津城主)を怨み憤死したり流浪の身となって各地に散って行きました。
  里の村の随所に鬼子岳末孫ばっそんさまと呼ばれる小さな塚が残っており、没落以後四百余年を経た今日に至るも、鬼子岳主従の精霊は安らぐところを知らず怨霊と化しているとも伝えられます。
( 2/ 1 町の中心から岸岳山を望む)
 
 

 
1/ 1 掲載 A WEEK-SHOOT JPG   
元気に除夜の鐘を撞く
 

除夜の鐘
  間もなく65才  年金暮らしとなって、あんまり恵まれた人生だとも言えないけれど、盲腸ひとつ切ったこともない”健康で平凡な日々”こそ幸せなことだと、できるだけ神仏に背かないようにいつもの暮らしを繰り返すことを心懸けています。
  いつものとおり大晦日の家事をすまし、今年の年越し蕎麦は上出来だったと上機嫌で、いつものとおり除夜の鐘を撞いて来ました。
  ホロ酔い機嫌のまま正月バージョンを仕上げていますが、3年前の同じ写真と見較べると、さすがに年齢を感じます。今夜も愛用の還暦記念の赤いチャンチャンコを手に迷った末に、「着たきりスズメ」じゃまずいなぁと地味な?恰好で出かけましたが、も少し派手にすれば良かったかなぁ…  ともかく今年もよろしくぅ!
(12/31 佐里の鎮道寺にて)
 
 

 

以前の写真集   Top Page に戻る