ふるさと塾印
'07-winter

'07-winter

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季節
タ イ ト ル
掲載 期日
ゴルフ場のサザンカ   ’08. 2.13
我が家の鬼火焚き   ’08. 1. 7
イルミネーション街道   ’07.12.17
岩見銀山遺跡   ’07.12. 9
皇帝ダリアの威厳   ’07.11.24
ホタル帰る   ’07.11.17

 
お急ぎでない方は

 
2/13 掲載       A WEEK-SHOOT JPG   
落ちた花びらがきれいな相知ゴルフ場のサザンカ
 

ゴルフ場のサザンカ
  退職した記念にメンバーとなった佐賀ロイヤルゴルフクラブは、家のすぐ前に広がっている。
  いつぞやはコンペを忘れていて、呼び出されてから間に合ったほどの近さである。
  その2番コースショートホールの先に一群のサザンカがあり、暮れからの花の季節は見事なので気に留めていた。
  その株元に落ち敷かれた花弁が貯まりに貯まって、樹勢ときれいな対比を見せるようになったのでカメラに捉えてみたが、この記事を書く段になってハタと困った。花の名前が判らない。  寒つばきなのか山茶花なのか?
  この時こそと、プレイ中にうるさいほど場内の植裁を講釈する仲間に電話して聞いてみると、「椿の花は、花ごと落ちるけど、サザンカは花びらがバラバラに散っていくんだから、あのきれいな散り方はサザンカさ」と簡単なものだった。自生する地域にも違いがあり、椿は北海道を除く全国で自然の中に見ることができるけど、サザンカは沖縄と西日本の一部だけだということであった。
( 2/12 ゴルフコースにて)
 
 

 
1/ 7 掲載       A WEEK-SHOOT JPG   
元気に燃える鬼火焚きと親父の餅焼き
 

我が家の鬼火焚き
  19年前の今朝、昭和天皇の崩御を知り、鬼火焚きの傍で遙拝したから、我が家の鬼火焚きは殊更に、感慨深いものがある。
  子どもの頃は、時を争ってよそよりも早く大きな音を出すように頑張っていたが、最近は、近所もゆっくりなので時を見計らって、例年どおりに庭先で鬼火焚きに火を点けた。
  昨日の夕方、屋根に差し被る裏山の若竹を選んで切っていたのでパン、パンと弾ける元気な音が続いた。
  やがて親父が、餅をアミにのせて火にあたりにきた。隣の家は太い孟宗竹なのか、ズシーンと大きな音がしている。…こうして、今年もいつものように始まった。
  鬼火焚きにあたると風邪をひかないというし、燃え残りがあると怪我をするともいうので、ゆっくり火守りをしながら、焼いた餅を砂糖醤油で3個食べた。そして今日は、七草粥の日。前の畑の大根やカブの間引きでもしようか…
  平穏でのどかな小正月である。
( 1/ 7 七日正月に)
 
 

 
12/17 掲載       A WEEK-SHOOT JPG   
相知町中山のイルミネーション街道
 

イルミネーション街道
  この季節になると相知町中山のバイパスにイルミネーションを施した棟々が出現します。4年程前から、新興団地のどこが始められたのか分かりませんが、今年は8軒のお家がそれぞれ趣向を凝らした飾り立てで競い合っているように見事です。
  申し合わせたように、近くを通る車はこちらに迂回してスピードを落として楽しみながら過ぎて行きます。さしづめ、あと暫くの「イルミネーション街道」です。
  宵闇を待ちかねてカメラを構えていると、気づいた奥さんが両隣の電源を入れてくれました。電気代も月に2,000円ほどですむとかで、競争するどころか仲の良いご近所の連帯感でお互いにこの季節を楽しまれているようです。ご家族に挨拶すると照明を落とした通路側の部屋では子ども達が炬燵に入ってテレビを見ていました。
  それぞれのお家のデコレーションを写真に収めて、あとで届ける約束をしてきましたが、そのうちの一軒はサークルメンバーの祥子さんのお宅でした。
(12/14 中山のイルミネーション街道にて)
 
 

 
12/ 9 掲載       A WEEK-SHOOT JPG   
当時の面影を残す龍源寺間歩への街道
 

岩見銀山遺跡
  今年7月世界遺産に登録されたばかりの石見銀山を訪ねました。大航海時代の16世紀、世界で流通した銀のおよそ3分の1が日本の銀であり、さらにそのほとんどが石見銀山で産出されたものであったと言われます。
  これまでその遺産を守り、街並みを保存してきた地元の人に敬服します。「自然環境と共存した産業遺跡」を自慢されるだけに、観光バスの乗り入れを規制するだけでなく、無理なく狭い山道を散策させる工夫がありました。
  龍源寺間歩ま ぶは代官所直轄の五山の一つで、1715年以来、昭和18年まで開堀され、その長さは600mに及んでおり、間歩通り抜けでは中に入って見学する事ができ、内部はノミで掘った跡が当時のままの状態で残っています。    

(12/ 8 岩見銀山・龍源寺間歩にて)
 
 

 
11/24 掲載       A WEEK-SHOOT JPG   
誇らしく咲いている皇帝ダリア
 

皇帝ダリアの威厳
  我が家の門柱の両側に親父が植えた皇帝ダリアが威勢良く咲いている。ここ一ヶ月ほどで急激に伸びて、今では草丈が3mを越えている。
  Dahlia imperialisという名前のとおり、周囲を睥睨するような威厳をもって豪快な花弁を広げている。当然にカメラ・アングルは上向きとなるので、背景は空しかなく、今日のように良く晴れた青空しかチャンスはない。
  「ダリア」という名前は、スウェーデンの植物学者でAnders Dahlに因むもので、我が国には1842年(天保13年)にオランダ人によってもたらされ、花の形がボタンに類似するため、「天竺牡丹」と呼ばれたそうだ。
  これまで、所々で生け垣から抜きん出て、この時期としては珍しい派手な咲き方をするこの花を不思議に眺めてきたが、今年は我が家の門番になった皇帝に敬意を払わずにはいられない。
  いずれにしろ、皇帝ダリアは強力な生命力をを示す桁外れの植物だ。
(11/24 我が家の菜園にて)
 
 

 
11/17 掲載       A WEEK-SHOOT JPG   
復元された富屋食堂の内部
 

ホタル帰る
  太平洋戦争が終わる僅か2ヶ月前の6月5日、特攻出撃を明日に控えた宮川軍曹は、富屋食堂のトメとその娘たちの心づくしの手料理を楽しんでの帰り際、懐中電灯でちらと腕時計を照らして、「9時だ。じゃ明日の晩のいま頃に、ホタルになって帰ってくるよ」と言った。
  翌日は雨だったと二女の礼子は日記に記している。夕刻に雨が上がって、ラジオが9時を告げてニュースが始まった。   するとそのとき、わずかに開いた表戸の隙間から、一匹の大きな源氏ボタルが明るい光の尾引きながら、すーっと店に入ってきたのであった。娘たちはほとんど同時に気がついた。
  「お母さーん、宮川さんよ。宮川さんが帰ってきたわよー」  口々に叫ぶ娘たちの声に奥から出てきたトメは娘たちの指さすほうを見た。暗い店の中央の天井。その梁にとまって明るく光を放っているホタルが見えたとき、トメは息が止まるかと思った。
  宮川さんだ。宮川さんがほんとに帰ってきたんだわ。感動に三人は息を呑んで暗い天井を見上げていた…「ホタル帰る(赤羽礼子、石井宏著…草思社)」より
(11/16 知覧の「富屋食堂」にて)
 
 

 

 

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