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ひとり、一芸一能
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ひとり、一芸一能

投稿者:ankou 投稿日:2000/11/ 9

 オリンピックの興奮とパラリンピックの厳粛さが終わりました。

 そして、パラリンピックが終わってから、パラリンピックの選手こそスポーツを楽しんでいること

に気づかされました。それからすると、オリンピックの選手は悲壮感に包まれていたようです。

 一見すれば息を呑むような重い障害をものともせずに、「世界一」を競う…

人には、それぞれの運命があり、能力があるのですね。そして誰もが、「金メダル」を持たずとも、

それぞれの一人ひとりが「世界一のひとり」であることを感じたイベントでもありました。

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 中学生の頃の僕は、現代ほどではないにせよ「人生は学力だ。やっぱりテストで勝つことだ。」と

いう世相を信じていましたから、躰と能力に恵まれたバスケット部の同級生が当然なように一流

企業に指名されて就職していった時に、一種のわだかまりを感じたものです。

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 当時は「金の卵」とおだてられても、機械代わりの労力としての求人しかなかったことから、その

ような贔屓採用は大学や企業の身勝手だと思ってきたものです。

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 今でこそ、プロスポーツの世界も広まったし、大学や企業も「一芸一能を自慢できる人」を求め

るようになりました。高校でさえも、スポーツ科を置く勢いです。

 その人でしかできない分野を尊重し、あらゆる世界一を紹介する情報の社会にもなりました。

 それでは、僕らが「学力」と信じてきた記憶はなんだったのでしょう。極端な話、電子辞書を持た

ずに済むということなのでしょうか?それにしても、歴史の年号を覚える必要があるのでしょうか?

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 電子情報を更に小さく身近に携帯し、それに対応できる『知識』を持って「選択肢データ」で確認

しながら、自分の『経験値』で対応していく…そんな時代になったのでしょう。

 60億人の「世界一」が競い合い、強調し合って、ひとり一人の良さと存在を認め合っていく…

 子どもにも、あらゆる多様な体験をさせながら、その人が持って生まれた「一芸一能」を見極め、

きちんと叱り褒めてあげる… 逆境にめげないように支えてあげる、励ましていく…

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 その瞳を輝かせて、「パラリンピックゲームを、もうリハビリとは言わせない!」

勝者の宣言にうなづき、目尻をぬぐい、拍手を贈り、

(もう一度、この子達への子育てに挑戦したいなぁ)

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そんなことを思った、世紀末のオリンピック・イャーなのでした… .

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